BACK YARD PROMOTION
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Onohtrix Point Never
JAPAN TOUR OSAKA

2014年3月22日(土)

OPEN 19:00 ADV:3500 DOOR:4000
*別途1ドリンク代金500円必要

会場

CIRCUS

出演

Oneohtrix Point Never and more!

作曲家ダニエル・ロパーティンの『R Plus Seven』には、この高名なエレクトロニック・ミュージック作曲家の進化をここ5年間追い掛けてきたリスナーにとってはお馴染みの、標準的なサウンドが数多く含まれているものの、彼のワープ・レコーズでのデビューとなる本作は、過去の作品から大きな飛躍を果たしたものとなっている。ロパーティンの実験的な傾向は、トラック制作のために彼が採用したコンセプトや手順においては身を潜めており、一方、その音楽自体はこれまでのロパーティンの作品の中でも伝統的な曲構造に則ったものに最も接近している。だがそれは、ロパーティンにとってあくまで“接近”したに過ぎない。この作品では、抽象音楽的脊柱やパズルのような断片が随所で折り重なっており、それらが一体となれば、聴き手は全編に広がる絵画的な描写を垣間見ることになるだろう。だが、それは目的地というよりも旅路というべきものだ。『R Plus Seven』は同程度に破壊的であり催眠的である。そして、その楽しみはロパーティンに身を任せることだ。彼は次々と現れる壁や鏡の前に------時にはその中に------聴き手を導くのだ。


ブルックリンを拠点にするこのアーティストは、常に実験性と親しみやすさとのバランスを巧みに保ってきた。彼は、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー名義で様々なインディ・レーベルより数多くのアルバムをリリースし------その中には2013年リリースの、初期作品を集めたコンピレーション『Rifts』(CD3枚組/LP5枚組)などもある------、加えて、膨大な数のカセットによるミニ・アルバムのリリースを重ねてきた。2011年にリリースされた前作『Replica』は、TVコマーシャルのサンプリングをもとに構築されたものだ。『ニューヨーカー』誌のサーシャ・フレール・ジョーンズはこの作品を「この音楽はイメージや感情を次々と穏やかに誘発してくれる。そのいずれもが名状しがたいものだが、そのいずれもが誰でも知っていると思えるようなものだ」と評している。ロパーティンは、ニューヨーク近代美術館において生でサウンドスケープを制作したこともあり、また、大部分が即興で作られた2012年の『Instrumental Tourist』では、モントリオールで活動するアンビエント・エレクトロニック・ミュージックの作曲家ティム・ヘッカーと共同作業を行なっている。また彼は、2010年の作品『Returnal』を、アントニー・ヘガティによるこの世のものとは思えない美しさのヴォーカルをフィーチャーした、エレガントで情感溢れるピアノ作品へと作り変えている。大手広告代理店サーチ&サーチは、2012年のカンヌ国際映画祭でのインスタレーション・イベントの出演者にロパーティンを指名。ソフィア・コッポラの長年の相棒ブライアン・レイツェルは、コッポラの映画『The Bling Ring』にオリジナルの音楽を制作するよう彼に依頼している。サーチ社の重役は言っている「彼の音楽には壮麗さがある。しかし、皮肉や軽快さを感じさせる瞬間によって常にバランスが保たれているんだ」


「このアルバムには多くの寓意がある」ロパーティンは解説する。「時にそれらは配置や規模によって遠回しのヒントとなるんだ------物の隔たり、あるいは考えの相違などのようにね。時にそれらは、聴き手に音楽スタイルの重要性を一考してもらうよう求めるんだ。抽象概念を通してね」


カヴァーアートは、見ての通りの、そして象徴的な意味においても『R Plus Seven』への“入り口”である。このイメージは、ロパーティンの長年のヴィジュアル・コラボレーター、ロバート・ビーティが、スイスの映画製作者/グラフィックデザイナー、ジョルジュ・シュヴィツゲベルの幻想的な短編アニメーション『フランケンシュタインの恍惚』(1982年)から翻案したものだ。アニメでは音楽が謎めいたヴィジュアルを先導し、部屋から部屋への移動が絶え間なく繰り返される。


よりコンセプトに関するレベルでは、ロパーティンは、その複雑な、まるでゲームのような構成が高く評価されている、前衛小説家ジョルジュ・ペレックの『人生使用法(La Vie mode d'emploi)』に着想を得ている。600ページの小説がパリのアパルトマンでの生活の一瞬を描き出すというアイディアは、このアルバムのクリエイティヴな起点となった。ペレックはまた、ウリポ(Oulipo)(フランス語で「潜在的文学工房」を意味する言葉の頭字語)に参画していたことでも知られている。その会員は、創作技法として制約------複雑な規則や方針-----を設けながら文章を書いていた。そうしたプロセス志向の詩は、ロパーティンの語り手たち、すなわちシンセサイザー処理されたテキスト音声変換の声によって『R Plus Seven』に収められることとなった。これは、ロパーティンがネット上にあるインタラクティヴ・フィクションのデータベースやカタログから集めたテキストを混ぜ合わせ、それを読み上げるようプログラムしたものだ。原稿、攻略ガイド、メニューリスト、取扱説明書、法的放棄声明文------全てがウリポのテクニックに則って再構築され、シンセ処理された声によって語られ、クロマチックの音階を施されたサンプリング音としてちりばめられている。これは昨年彼が、映像作家ダグ・エイケンとの作品で既に示していた技法だ。ロパーティンはポップのスタンダード曲「I Only Have Eyes For You」の印象的なアレンジを案出しており、ワシントンD.C.のハーシュホーン美術館の壁に巨大スクリーンで投影されたインスタレーションのサウンドトラックとして、その歌詞はズタズタに切り刻まれ、ザラザラとした手触りで再構築されていた。『R Plus Seven』では、彼は歌詞カードのようなもの----実際にはテキスト・アートという形のものだ----をフィジカル・アルバムのジャケットに封入している。だが、語り手が存在する目的は、ロパーティンが収集した生の音を編集するのに多大な労力を要したにも拘らず、いたってシンプルである「それらがアルバムの中で何かを語り出す時、それはテキストの中から浮かび上がってきたある種の音楽的要点や疑問、主題などを示すシグナルとなるんだ。僕が考えていた音楽的テーマにテキストをどうやって対応させていくか、は完全に直感によるものだった。そういう意味では、このアルバムの“プロセス志向”の側面は、実際にはそれほど重要なものではないよ。それらはただものを生み出す役割を果たしているだけなんだ。それらが僕に、音楽的に次のステップをどうするべきか、を示唆してくれるという点でね」


このアルバムに欠けているものといえば、若きロパーティンがボストン郊外にある実家の地下室で行なった最初の実験に使用した、年代物のローランドJUNO-60アナログ・シンセサイザーである。ロパーティンはロシア移民の息子であり、両親共に音楽素養があった。件のキーボードもかつてソ連でエンジニアをしていた父が所有していたものであり、前作で極めて重要な役割を果たしていたものだ。新作でのロパーティンは、ブルックリンのアパートで作業を行ない、トラック制作の大部分はソフトウェア・シンセサイザーに頼っている。そして、エンジニアのポール・コーリーを伴い、作曲家/プロデューサー、ヴァルゲイル・シグルドソンが所有するアイスランドのベッドルーム・コミュニティ・スタジオにてアナログミキサーでミックス・ダウンを行なっている。印象的なエフェクトを生み出すために使用したデジタル機材の大部分は、「CMやTV、映画のテーマ音楽や背景音楽の制作のために開発されたソフトウェア・インストゥルメンタル・ユニット」からのものだ。「ハリウッドを思わせるようなサウンドの雰囲気を伝えるために模造機材を使おうと思ったんだ。」アルバムは、大聖堂にあるようなオルガンの物々しいリフで幕を開ける。映画『オーメン』に使用されても不自然ではないものだ。アルバムが進むにつれて、それは、しばしば“スピリチュアル”と名付けられていたプレインストールのサウンド群から選出された、より高揚感に溢れる神々しいまでの合唱に取って代わられる。『R Plus Seven』は聴き手を捻くれた語法の迷宮へと誘い、そこでは音楽ジャンルと情動が闇の中で互いに刃を交えたり取っ組み合ったりしているのだ。


「アイスランドに着く頃には」ロパーティンは回想する「アルバムはデジタルの存在感が並外れて大きくなっていたんだ。そこで僕は、これらの模造のアンサンブルを空間の色彩に溶け合わせようと試みた。完成品がある意味アンビバレントになるように。もはや孤立していなくて、しかし決して自然ではないように」


その聴覚上の玄関や廊下などが配されたワンオートリックス・ポイント・ネヴァーの『R Plus Seven』は、自らの選択によって作る冒険のようなものであり、その創作物の裏に潜む、複雑に組み立てられながらも全くもって自由奔放なプロセスを映し出している。ロパーティンはこう結論づける「僕はデジタルの柔軟性といったようなものを有するレコードを作ろうと目論んだんだ。今世界では、強大なコンピューターの力が主流となっていると盛んに語られている。誰もがプロデューサーになれるとね。それは僕らの、そしてそれ以降の年代に直接向けられたものだ。僕以外、正気な奴はこんなレコードは作らないだろう。だけど僕は簡単に手に入る“パレット”を使ってそうしたんだ。僕はこういったテクノロジーの自由という新たな概念について憂慮している。なぜなら、『これがレコードの作り方だ』と教えてくれる教授法はもはや存在しないが、厳格に統制され管理された文化的市場があって、それがスタイルをより強固なものにしているんだ。それは僕の大きな着想源になっている。これは統制だよ。僕は自分の多様性をみんなに知って欲しいんだ。この作品は『ありがとう、でも僕には結構だ』と言っているようなものさ」




マイケル・ヒル